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壊れた私。

  • yuko barlow
  • 2016年5月17日
  • 読了時間: 6分

今日は昨晩久しぶりに悲しくて切なくて悔しくて号泣した私の話をしたいと思います。

以前は最低でも週に一回実家に電話をしていたのですが、仕事を始めてから日中子ども達がいない間に実家に電話する機会が少なくなりました。

でも昨晩、ふと実家が気になったので子ども達が寝てから電話をしたところ、父が電話にでました。

「おお、元気か?」とも聞かず開口一番話しだしたのは姉の子ども達のこと。(でもうちの父はずっとこんな感じです)

私も甥っ子姪っ子が自分の子どものように大好きなので話を聞いていました。

実家と姉の家がとても近く、今は生後4ヶ月の赤ちゃんがいるので上の子どもの保育園の送り迎えを毎日手伝っている父。

そのうち来年のことを話し出し、来年は(姉が仕事復帰するので)もっと大変になるなぁと言ったところで姉の家に手伝いに行っていた母が帰ってきました。

でそこで父が「祐子から電話だぞ」と言うと、母が一言「また?」

「えええ?そんなつい最近電話したっけ?」と言う私に「2日前に電話しただろ?」と父。

忙しすぎて忘れておったわい。

そこで4歳の息子が「おしっこー」とおきてきた。

なので電話を急いで切り、息子をトイレに連れていき寝かして

またリビングに戻って。。。。さてコンピュータでもしようか、と座ると・・・・

ふつふつふつふつふつ・・・・・イヤ~な感情が出てきた。

それはまさに姉に対する嫉妬と両親に対するむかつきでした。

(私を知ってる方はよーく知ってると思いますが、うちは本当に仲良し家族です)

この間年末日本に帰ったときに一泊でもいいから両親を連れて温泉旅行に行きたかったのに姉が切迫早産になりかけで子ども達の保育園の送り迎えを毎日していた両親はたった一日も一緒に旅行へ行く時間を私に裂いてくれなかった。どうにかならないか、考えてもくれなかった。

そして保育園の送り迎えのため一緒に朝ごはん・夕ご飯もなかなか食べられなかった。

それはとっても悲しくて、たった1年の1ヶ月一緒にいられる時間なのに、、、とかなり不満だった。

陽気が1番よくて日本との気候の差もあまりない今年9月に両親のチケット代を出すから、

(去年リタイヤしたので)何週間でもきてよ、と誘ったけれど、なんだかんだまた送り迎えがあるからときっと来ないだろうと感じていたけど、そうだと思うとすごく悲しくなった。

そして今回。

色んな感情が入り乱れて、嗚咽しながらの号泣。

「電話きるまで娘に「元気か?」の一言が何でないんだよ」

「心配じゃないんかい」

「私だってこっちで言わないだけ大変な思いいっぱいしてるんだよ」

「旦那Pがいつでも休めるなんて思ってんか」

「まだ下2人が生後何ヶ月の時だってわたしゃ一緒に連れて外出せざるを得なかった。

息子Aの幼稚園の送り迎え2人連れてどんなに大変だったか」

「私だって」

「私だって」

「大変なんだよー!!!!」

「こんちくしょ~~!!!!!」

もう自分以外のことが見えてない状態になってますね。

悲劇のヒロインですよ。

2世帯で一緒に住んでいる義理母。

下でテレビを見ていた(音が上まで聞こえてくる)義理母にも怒りは向けられ

(とばっちりですよ、本当に)

「テレビの音うるさいんだよ!!」と上で1人叫びました(義理母は聞こえてませんよ)

もうここまで来たら止められない。

むあ~~~というものすごい感情が出てきた。

「オーストラリアに行ったのはお前だぞ」という父が昔言った言葉

本当にそう。

自分が決めたこと。

今までこっちに来て後悔している、って絶対言わなかった。

本当に後悔してないと思っていたから。

でも昨晩ハッと思った。

きっと認めたくなかったんだと思う。

オーストラリアにいて幸せに感じるのと同じくらい

やっぱり日本、両親や姉と離れてしまったことに後悔をしていたんだ。

やっぱり日本、家族は恋しいもの。

特に日本で災害が起きたりすると「ここ」にいる自分「日本人なのに」あっちにいない=同じ目にあってない自分は裏切り者に感じてとても胸がしめつけられる。

身体はここにいるのに心や魂は思いっきり日本に飛んでいて。

原発に対して、日本で流れているニュースに対してどんなに情報を仕入れても意見はいえない。

だって日本にいないんだもの。どうせあんたは日本にいないじゃんって思われるから。

両親を思い出さない日はないし、とくに年老いていくからこそ、いざというとき近くにいてあげられないことが親不孝者に感じて仕方ない。

でも両親の近くにいてくれてる姉夫婦がいるから安心していること。

姉夫婦にどんなに感謝しているか。

そして孫に毎日会えることで、両親がどんなに元気をもらっているか。

歩いて送り迎えしていることが両親にもいいことも知っている。

普段は百も承知でわかっていることが、昨日はもうそんなこと考えれず、涙がとまらなかった。

こんなに悲しく切なく、この上ない疎外感、そして

「私にも目を向けてよ」と思うことは本当に久しぶりだった。

そして怒りもマックス・針が飛んでおりました。

テレビを見ていた旦那Pもびっくり。あたふたしてたな。こんなに泣いたこと何時振りだろう?

結局昨晩は目が開けられないほど目が腫れたまま寝つき

今日は酷い顔で起きました(笑)。

下2人を幼稚園に送る車でもまたちょろり思い出し泣きをするほど。

そしてついさっき時間が出来たので久しぶりにシータヒーリングをやりました。

シータヒーリングは

「何故その状況になったか?」を考えます。

なぜか、

それは

「かならずその状況になることで得ているものがあるから」なのです。

結局私の行きついた先は

「両親への怒り・憤りをもつことで(=日本への想いを断ち切り)

オーストラリアの生活に120%集中できる」

でした。

最近は日本人の方だけでなく、オーストラリアの方もお客さんで来てくれるようになり、英語ももっと勉強したい、どうしたらオージーに満足してもらえるか、それで頭いっぱいだったりする自分にまさに・・・・だった。

その中には

「一つの国を選ばなければいけない」

「祖国を1番に考えなければいけない」

「家族(両親や姉)は今の家族と同じように想わなければいけない」

という私の強い潜在意識&思い込みがあったこともわかりました。

そこでその思い込みを光に飛ばし、

「両親への怒り・憤りをもたなくてもオーストラリアの生活に120%集中するとはどういうことか」

「距離を考えることなく、祖国を想うとはどういうことか」

「(国籍関係なく)私としてオーストラリアで暮らすとはどういうことか」

「家族という概念を光のエネルギーの定義で教えてもらうとはどういうことか」

などなど、降りてきた言葉・意義をダウンロードしたところ、

今日ずっとしくしくしていた胃がすーっと治り

こうやって「笑っちゃうな、自分」なんて思いながらブログに書けるまでになりました。

親というのは子どもへの嫌われ役をかうことがよくあります。

それは憎いからでもなく、嫌いだからでもない。

子どもに成長してほしいから、愛情からだと私は思うのです。

そして子どももまた自分のカルマ解消・魂の成長のために

1番近く、自分のことを愛している親に嫌われ役になってもらうんだと思うのです。

みなさんはいかがですか??

 
 
 

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