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母と娘 ①

  • yuko barlow
  • 2016年9月11日
  • 読了時間: 5分

皆さん、今晩は! バーロー祐子です。

最近書きたいことがあるのにいざ書こうとしても中々指が進まずで放置しておりました。出来ないときは無理意地せず、自然の流れを待つ!ぼけーっとする。。。たまにはそれも大事だったりします。

で、ついに書きたいことが出てきました。

今回はシリーズで行きますよ~。というのも沢山ありすぎて、深すぎて、1回では書ききれぬ。

テーマは「母と娘」。

これは私がヒーリングをしていて、

私と母の関係を通して、

私が娘との関係を通して、

友人から聞く話を通して、

もう色んな目で感じたこと・・・・それを是非綴っていきたいなと思います。

第1回目の今日は。

「娘との関係」から行きたいと思います。

この話は姉と友人1人にしか話したことないので、私としてはかなりのカミングアウトです。

我が娘は30週5日に2卵生双生児の1人として生まれてきました。

極度のIUGRと19週目に判断され、生命も危うかった娘。生まれた時の体重は480gでした。

妊娠中は本当にどのくらい娘の小さなキックを指折り数え、ああ生きている、大丈夫だと確認していたことか・・・・計り知れません。

そして生まれてきてからは呼吸器をつけ、動脈にも沢山生命線をつけ(もしもの時にすぐ救命が出来るように)ていたために、抱っこはもちろん、娘に触れられるのは指1本くらい。そして見た目も「赤ちゃん」から程遠かった娘。NICUの看護婦さんからShe is beautifulといわれても、私はすんなり受け止めることが出来ませんでした。

娘を始めて抱っこしたのは生後49日目。嬉しかったなぁ。やっと娘の体温を感じられ、鼓動と感じられた。

そして順調に退院へ近づいてきたある日。

娘の授乳タイムに退院していた双子の息子と一緒にいき、娘にオッパイをあげようとすると、顔を背ける。 その前の晩、哺乳瓶で搾乳をあげてもらったのだが・・・・どうやらそっちの方が楽に飲めると分かったようで(でもこのとき娘生後2ヶ月半)、しつこくあげようとしても顔を背けて、最終的に手で私のオッパイをはねのけた!これには私もびっくりし、その部屋担当のナースさんに「なんか家の娘おっぱいはねのけるんですけど!!昨晩の哺乳瓶に慣れちゃったんだと思います」というとナースさん「いやいや~一晩くらいじゃ慣れないわよ。大丈夫、も1回あげてみて」と言われ、しつこくあげようとすると泣き出す始末。しかも数部屋先まで聞こえるほど大泣き。 

今の娘をご存知の方はたぶんご想像つくと思いますが、もうこの時点で娘のキャラクター炸裂してました(笑)。

そして1回おっぱいをやめ、オムツ換えたり、気を散らしたりするが、何度やってもギャン泣き。オッパイを手でぐいっと跳ね除ける。 

私→呆然。

これが私のスイッチを押してしまったんですね。

「母として必要とされていない」と。

身体に、ろくに触れられない娘に唯一「母」として私が出来ることは搾乳した母乳を届けることでした。

1人で頑張ってる娘に。

双子のお母さんは2人面倒が見れるように身体が準備している、とはいってもやっぱり母乳はかなり大変で・・・

特に息子が40日目に退院してきてからは息子を片方あげながら

片方は搾乳機で娘に搾乳。

(息子が吸っている時の方が出がめちゃくちゃいいのです)

息子が飲むときはかならず片方は搾乳。

夜も同じ。

そして娘の体重が増えるとあげる搾乳の量も増えるため、どんどん量を要される。

「もう出ません~。もー無理!」と何度病院のLactose Consultant(おっぱい教育のコンサルタントの人が病院にはいます)に言った事か。

そのたびに「今何時だっけ?今feedingおわったんだから次3時間後でしょ?家帰ってちょっとゆっくりしてもう一回搾乳してきて~出来るわよ~うふふ~」と言われ、半泣きで搾乳を続けてきた私は、どこかで「おっぱい=母としての重要な役割」になっていたんですね。

それを娘にギャンなきでしかも手でよけられた。

今考えると娘は「生きるため」「大きくなるため」に一気に沢山飲める哺乳瓶を選んだんじゃないかと思うし、その状況を思い出すと笑えるのですが、当時は汗びっしょり。頭もかなりパニックでした。

そして娘が101日後に退院。

娘が帰ってきた!私の嬉しさとは裏腹に、病院の音に慣れていた娘は家の音にかなり敏感ビクビクし、表情もあまりなく、泣く事も少なく、とても静かな子でした。

そして双子を連れていると道行く人に本当によく声をかけられ

「何ヶ月?」

「ええ?双子?」

「大きさがかなり違うわね?」

「生まれた時は体重は?」

「あら~お兄ちゃんに栄養沢山とられちゃったのね」

それがお決まりの言葉でした。

100人は軽く超えて声をかけられました。

その「お兄ちゃんに栄養とられちゃったのね~可愛そうに」

この言葉が本当に私には辛かった。

息子は普通に育っていた。なのに双子だということで10週間も先にこの世に生まれてこなければならなかった。しかも胎盤は一緒じゃない。だから栄養を取ったわけじゃない。

私にしてみたら娘も息子も頑張ってくれた。それぞれ違うところで。

私にとったら息子は早く退院してくれどれだけ私の精神的なサポートをしてくれたか、計り知れず、何も知らない人達にそんな風に言われることが本当に辛かった。

そしてそれはどんどんエスカレートしていき、娘ばかりが注目をあびることが多くなった。

そしてそのことで私の中で「息子が可愛そう」という気持ちが芽生え、娘が褒められたりすることにうんざりするようになってしまった。

そしてそれに拍車をかけるように、私と息子の過去生の幕開けになり・・・・

→以前のブログ→Feburary 4,2016 「私がシータヒーリングを始めたきっかけ」を参照ください。

息子を失うんじゃないか?ということからもっと息子に私の意識がいくようになりました。

そしてそのうちお友達にも両親にも「息子君ばっかり抱っこしてるね」と言われるようになるのです。

あの時の私は「娘を本当に愛しているんだろうか?」と本気で悩んでました。

(多分うちの母もそれに気づいて心配していたと思います)

男の子は「ママ、ママ」だけど 娘は全然ママ言わないな。

どうしたらいいんだろう、

子どもを愛さない親っているんだろうか?

子育て相談所に連絡しようか、と本気で考えたほど、そして何でも話せる旦那にさえ話せず、どうしたらいいかも分からず、そんな状態が2年ほど続きました。

「愛さなきゃ」

そういう思いが、「重い」になり、逆効果になり、どんどん悪いループになっていきました。

でも糸口が見つかるのです。

それは次回に・・・・。

 
 
 

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