母と娘③
- yuko barlow
- 2016年9月21日
- 読了時間: 3分
スクールホリデー真っ只中のブリスベンより今晩は☆バーロー祐子です。
さて「母と娘」の第3回目は「娘としての私」と「母」との関係を書きたいと思います。
私は小さい頃から「母に迷惑をかけたくない」という気持ちが強い子どもでした。
迷惑をかけたら
「母」が私を嫌うんじゃないか
「母」がどこかへ行ってしまうんではないか
「母」が早くに死んでしまうんではないか
もう恐怖と不安ばかりがありました。
母は健康だし、
愛情深い母だったし、
何処かにいってしまうような母でもないのに、
物心ついたころからそんな風に感じてました。
冬の寒い時期、母が真っ赤な手で洗濯物を干していようなら、洗濯物を少なくしようと2日同じ服を着たり(せこい?笑)、お店で何か欲しいとねだったことなんてあったかな? お金がもったいないから何かを買うときは少しでも安いものを選んで買ってもらったり・・・・。20代になってからはそれなりに母を困らせたりはしていたけれど、幼少期は本当にそんな感じでした。
そんな幼少期を自分が送っていたので、今度は自分が母親になり、子どもが一日中ギャーギャーしたり言う事を聞かなかったりすると「どうして私を困らせるんだろう?」と思うようになり、なぜなぜと疑問ばかりが押し寄せました。
そして特に娘にはその想い(私を困らせてるの?って気持ち)が強かった。
結局は「私がしたかったのに出来なかったこと」を自分の子どもがしていることに私の幼少期の発散させられなかった感情や想いがムクムクと出てきていたんですね。
「したかったこと」
「でもできなかった」
なぜか。
「お母さんを困らせるから」
だから自分の子ども達が思う存分の感情を表現したり、身体で表現していると「私を困らせることを何故するの?」と思ってしまったんですね。
じゃあなぜ自分の感情のままに生きるとお母さんを困らせてしまう、と幼少期の私は思っていたのか。
要因は2つありました。
①
私が丁度生まれた1977年ころ。粉ミルクが発売され、流行り始めたんですね。
私は40週お腹にちゃんといたのに2250gの小さな赤ちゃんでした。
「この子は胃が小さくて一気に沢山おっぱい飲めないからお母さんしばらく大変だよ」と産婦人科のお医者さんが母に言ったそうで。。。。。(赤ちゃんだったけど、私それ聞いていたんじゃないかとも思う (笑)
で、案の定。私はおっぱいを飲み始めるとすぐお腹は一杯になり眠ってしまい、30分くらいするとまたお腹がすいて泣いて起きる。ちょこちょこ飲みをしていたそうで・・・・・。それが結構続き、、、、母も悩んだ末→そこで登場。粉ミルク。
そこから粉ミルクで育ったそうで、大好きなおっぱいから「ちょこちょこ飲みをしていたがために母に迷惑をかけ、その結果離され」、粉ミルクになってしまった~という私からすると「拒絶」になってしまったのです。
赤ちゃんおっぱい大好きですからね。
そして、ここで前回母と娘①で書いた娘が入院中、私のおっぱいを手で押しのけ号泣して拒絶したのと繋がります。
「母がしてくれなかった母乳をこんなにがんばってしているのに拒絶された!」
母の象徴は私にしたら母乳=おっぱいだったんですね。
おっぱい=母の愛情。
母から拒絶されると思っていた最終的に行き着いた理由はここでした。
じゃあ、母乳で育たなかった人はみんなそうなるのか、それはそうではありません。
私には「私がもってきた」もう一つの理由があったのです。2番目の理由です。
それは次回に・・・・・・。
あなたが小さい頃お母さんに抱いていた想いはどんなもの?
小さい時の「お母さん」の記憶が実はあなたの思い込みで記憶されているかも?
本当はそうではなかったのに・・・・?
「は!」と感じた方、
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